パブリック

パブリック空間

会所開きの席で

プライベートを最も重視している、社会状況。
プライバシー、個人の自由とパブリック。
でもどちらを大切にして、どちらを補完するか、
政治などで、人が考えて様々に変化する。

(優先座席のある、電車内空間)
何処でも化粧ができる。
何処でも座れる、どこでも食べられる、いつでも電話が掛けられる。
何処でもタバコが喫える、空間は排除された。

こういった規制に合わせられない、人たちが増えると、
反対にプライベートな空間を(時間を自己制御できない)過ごせない、
幼稚な大人が露見する。
パブリックな空間を、意識できない、夢遊病的な行動をとる。
ケイタイを見ながら歩く、いつひったくりにあってもおかしくない。

社会ではプライベートとパブリックが、せめぎ合いをしているかのように見える。
簡単に言うと、コミュニティが劣化し機能不全に陥っている。
神社、お寺、教会、学校、宗教という大がかりなもので一括りできない生活になった。

みんなが集まる場所を、つくろう!
と新築された場所で、会所開きのようなものに参加しました。
普通なら気にならないのですが、コンクリート造り、密室に近いので尋ねました。
煙草を吸っていいですか、もしだめなら<禁煙・表示>が必要でないですか?

オーナーが言うには、禁煙と表示しなくてもわかる人でなければ入場してもらいたくない。
禁煙ですかと、尋ねられない、そういう空間をめざし「パブリック」として認知されていました。
オーナー側として、あえて尋ねられないために、<禁煙表示>はしないとのこと。
それなりにパブリックに対する、想いをお持ちでした。

私的所有権に脅かされて、コミュニティが毅然とした態度ができない、いまの時代を顧みれば
ナショナリズムに移行しても不思議でないかも。
駐車違反に罰則があっても、歩道の真ん中に自転車が<無法の駐輪>。
道路であれば、自動車がわが物顔に通行〜、人などお構いなし。
それは、雨降りの自動車走行を見ればしかり。
歩道は、あくまでも付け足し、道が狭くなればなくなる。
駐車違反は、車に人が乗っていれば駐車にならず、道路上の無制限の停車。
何故このようになったかは、私的所有を価値観の上位に挙げている社会だからこそ。

コミュニティが毅然としない、その立場は自治体の象徴でもあります。
商店街で自転車走行を許していない、しかし商店街組合はそれ以上のことができない。
自転車所有にもっとメスを入れるべき時が、やってくる。

自転車の対抗軸は、人権。
弱い人の立場を忘れて、社会は成り立たない。