人間の条件
人間の条件 1959年
仲代さんの隣で、一部二部を観てきました。
生まれてから何回も見る機会があり、テレビでは数回かも。
娯楽の多様化でしょうか、長時間の鑑賞には負荷が掛かりすぎます。
少年時によくこの映画を見たものだと、感心します。
梶という登場人物を振り返ってみて、私の労働観を形作った思われる場面があります。
頑固、生真面目というところでしょうか、教科書的な働きを求めていました。
大きく言うと、今までの労働者のスタイルをこしらえた映画ではないか?
劇中に梶夫妻が、いさかいを起こす場面があります。
愛していても、働いているところに入り込めない、という宿命。
原作を読んではいませんが、直接汗をかき涙を出している労働者側の、立場になりえない
という、あきらめを青年期時代感じていたものです。
組織の中に納まりきらない、自分の存在をどう抑えていくか、悩む場面はほとんどありません。
自分の信じる方向へ、まっしぐらに進んで後悔しない、会社員です。
あえて労働者とは言えず、肉体労働に繋がらない管理的な職責を担います。
仲代さんも、組織と自分との確執を描いていたとおっしゃっています。
政治の世界を見ると、この政党というものにかつて属していた者が、その政党を敬わず
否定をする政治活動を許す風潮が蔓延しているのです。
今でいう背任横領です、自己矛盾を露呈しています。
その自己矛盾が表れても、一向に反応がないのが、
政府や自治体、政党や経営者団体、警察や検察、労働者団体や官僚、マスメディア。
すべてあらゆる組織。
一票に格差があると、今の司法が違憲の判決をしていながら、違憲のまま総選挙が
なされるのです。これを修正できなくて、何が憲法改正なのでしょうか?
今の憲法でさえ、この人権が守られない。
福島にいる人たちの人権が、守られていないことをしっかり見つめて、
投票する相手を選んでください。
政党自体、粛清させねばなりません。