やったー

やったー、やろうと思えばできるんだ

昨日オフ会に参加した、マイフレンドと初めての出会い。
nayon という名前に、性別を感じ取れなかったという。
隠しているつもりはなく、どっちにとられても気にならない。

人生でセクシュアリティを意識するのは、1人か2人でしかない。
それ以外の人たちに、セクシュアリティを自分の方から意識するなんてナンセンス。
日頃からゲイの映画を観て、ジェンダーに悩まされないよう。
自分を縛るような、マネはしたくない。

娘や息子、子どもたちに非難されるとしても、生きている間は口に出して
小言を聞かされることもないだろう。
すべては親が死んでから、セクシュアリティがどうだったのかの後の評価にすぎない。

社会学や倫理を学ぶとき、決まって考えるのは、男だったら〜
女だったらという・・・・憶測。
人生という期間で考えると、性別による<選択・判断>は大きく変わらない。
政治の票は、女性が握っているといってもいいだろう、寿命から。
女性の政治家が少ないにもかかわらず・・・・・・。

わたしが日記に書いていることに、性別を感じさせなかったという。
飛び上るほどうれしいほめ言葉。
コミュニティの皆さん、お誘いいただきありがとうございました。