誤謬でもっている社会

誤謬でもっている社会

自殺者が増え、うつ病患者があふれる社会。
その原因に、巷にはびこっている誤謬を訂正しないコミュニティ。
これなら、日本という国が滅んでも仕方がないと、納得し始めた。

優先座席に座り込む、若者の一行。
この同じ世代が、電車の床にふんぞり返って座っていたのではないか?
それが若者だけでなく、その上の世代もどっかりと座りはじめた。

彼らを観ていて、同世代から視線を逃れたい、異端者の仲間になりたい気持ちを感じる。
みんなと同じように、人として扱ってほしくない、そういう思い。
なぜ優先座席に座ろうとするのか?

親せき、知人、地域に住んでいる人、同じ社内の人、同じクラスの人。
そういう人から、<優先座席にすわっている>見つめられることはないと、信じ切っているからできる。
彼らは、疎外感を楽しんでいるかのように、優先座席にすわる。

座席のガラスには、ケイタイを使わない注意書き。
それを観ているはずの車掌に訴えても忠告をしない車掌。
ケイタイ使用をみても見ないふりをする、車掌。

女性専用列車も同じ、列車の中に男性がいれば注意するのが車掌だろう。
それが、後部車両にいる車掌が何もしない。
日本語で書かれた文字を、無視する社会。

私は優先座席に座るべき者と、思い込んでいた。
その日の食事に事欠く、老人に見立てて。
ところがここにきて、優先座席でない一般座席に座りはじめた。
老いた者と自分を認めなかったら、簡単に座れる。

我々の年代からすれば、優先座席に座る年代として自分を認めたくないのだろう。
今の若者からして、まったく正反対の性格が形成されている。
優先座席でじっとしていられる、老人などマイノリティ。

なぜ女性専用列車を設け、優先座席を作らなければならないか?
モノもいない、大人しい女性、黙っている老人がいると思っているから・・・。
人と差別しない、と社会で決めたことを逆らって、ひとと人を区別する。
女性でない人と、老いた人として。
区別するのなら、それなりに他人を敬うべきなのに無視をする社会。

これが、道路の<歩道>でも同じようなことが起こっている。
学校の、<いじめ>でも、きっと。