加藤智大

秋葉原事件 加藤智大の軌跡 中島岳志

こんなにも早く読んでしまったのは、はじめて。
中島岳志が、この本を書く必要があったか思う。
3冊目の読書になるが、心に響かない。

本の題からして、読む機会はなかっただろう。
中島岳志が書いたということから、本を開けてみた。
注目を引いたという性格、個所が見当たらない。
主人公を最後まで加藤と、著者は呼び続ける。
加藤とどれだけ交われたかとか、書かれていない。
知りたかった一つに加藤の読書歴と、映画の鑑賞歴を知りたかった。

加藤はすこぶる、頭がよかった。
両親は銀行員だったというから、貧窮していた家庭ではなかったろう。
加藤は学歴がないと人に云うが、大学をめざし短大を卒業したのだから、豊かな暮らしに違いない。
勉強に頑張ったという記憶がなくて、成績は上部だったという。
絶えず職場を変えても、仕事をこなし抜擢を得られたのだからまんざら頭は悪くない。

仕事については、話したいことがある、依願退職した方だから。
若い人に職場を奪われたと、言われたくなかった。
そこからいえば<天下り>という、へばりついた響きは<哀れ>としか言いようがない、潔さがないのだから。
そんな人生。

ふいと職場を去った時に戻ってしまう、派遣労働が叫ばれ始めた。
職場では<引き継ぐ>という過程がある、それをいかに次世代へうまく引き継ぐかが組織に課せられた問題。
文章では表現できない、誇りを次に伝えるという行為になる。
女性にとって、考えの及ばない話かもしれないが、そもそも労働とはそういうものだった。

加藤は、母親からいじめられたという。
虐められたと感じれば家を出ればいいではないか、わたしにはわからない。
彼は大人になっても自発的に飛び出そうとはしなかった。
アパートを借りると家を離れ、再び戻っては家族から取れそうなものを奪ってゆく。
加藤の取り巻きは、加藤の頭の良さはわかっていても、加藤の頭の良さを生かすことができなかった。
組織の中で、何ら彼を活かすなシステムはこしらえていなかった。
母親はもちろん、次から次へと職場を変えても、誰ひとり組織として引き出しえなかった。
これが日本の上空を漂っている現実であり、社会はこの空気を何十年も引き継いでいる。
官庁・企業であり、政治であり、家庭でもある。

簡単に言えば、その場を立ち去ったとして引き継ぐものを、次世代にバトンタッチをしたかという、問いかけをする必要がある。
それを消し去ったのが組織であり、派遣労働という制度であり、今ある日本の家族のありかたである。
加藤の母親を責めるのではなく、女性を家庭に逃げて済ませる話ではない。
加藤の母親の人生観が、加藤の人生を決定してしまった。
しかし、社会に出れば新しい道ができ、本来人の役割は変わっていくものだ。

本で教わったことは、<掲示板>の存在である。
インプットしたことはない、参加できるだろうか、やってみるしかない。
リアルか、ネット上か、どちらが向いているか?
連綿と続いているのは政治であり、近年では民主党、日本が変わらないとすればこの政治を動かしているのはいったい誰か?
心当たりに、女性の投票権
政治の権力者に女性は少ないが、人生で長く生きるのは女性しかいない。
その彼女らが、いまの日本の政治の舵を取っていることは間違いない。

子供が生まれれば、一番現実を帯びるのは女性たち。
加藤が、子供から青年になり働くとき何が必要か、専業主婦であってもテーマは変わらない。
なのに日本の社会は、一向に変わらない。
教育が貧しいということもあるが、人生・価値観が定まっていないことによる政治の影響が大きい。
日本の社会がこの労働システムを継続してきたことによる、影響や事実は取り返しができない。
たとえば、福島第一原発のようなものである。
いくらもがいてみても東電へ、ろくな若者は働きにやってこない。
物理科学の分野に大きな産業は起こってこない、労働におけるスキルの役割りを重視しなかったのだから。
3・11が起こる前から、労働の断絶が生じていたはずである。
この産業のリスクを未来永劫抱えて生きていく、これしか日本の将来はない。

其の崩れた遺跡をどう掘り返すか、どうするかが<経団連>などに問われている。