何をする、気にもなれない

何をする、気にもなれない。やっていることは、テレビの見守り。

NHKと民放の違いが、際立ってきた。
いわゆるインフラの差、日頃の情報をどこから仕入れて来たかという、実績にある。
政府が、福島原発が収束したという記者会見をしたとき、3月11日以降の政府・原発の動きを分析したり、当事者のインタビューを交えての再現ビデオが映されていた。
NHK → 読売テレビ → TBS
その差は歴然、これが政府や担当者にできない。
いまの日本にいる人は、責任感をもって仕事をしている人は皆無なこと。
そういう人が、一回失敗したのにまだ従事していること。

福島原発の惨状から政府や科学者のいうことに、国民は信じられなくなっている。
もちろん新聞はもとより、テレビでも。
電力業者が窮することで、情報源は明らかに信頼されない。
現場の動きからみた検証は、分析に欠かせないことだが、9か月たって政府は手をつけていない。
NHKは、番組にそれを取り入れた、それが政府の<収束>に対するメディアの反応であった。

その次は、地質学者の研究をレポートした番組であった。
その番組で知らされた情報は、何年も前の内容のもの、私でさえ知っていたこと。
地質をその場で調べれば、何万年前の歴史をたどることができる、そしてそれに符合する文書が綴られていること。
大学の地質学者の足跡を追う番組であったが、やはり2011年を限って映じられるわけがある。
3月11日があって、その使命感を帯び成し遂げられたように思われる。

情報や学問が、社会に生かされない、その原因は何なのか?
すべての人々が、働いていることの意味を確かめないまま、動いているかのようだ。
根元に、現場を知らないままで社会が動いていくこと。
汗をかくものと頭を働かす者と、区別していること。
知り得たと思い込んでいても、何もわからなかったことは時間を経れば知れわたるということ。
科学とは、万人が知りわたる事実でなければ・・・・・