科学

科学

2011年、イメージすることは一つ、3・11。
日本人同士が会話をする題材に、政治は好まれません。
触れてはいけないものが、増えたようです。
このひとつは、日本人が生きている限り背負ってゆくテーマになるのではないではないでしょうか?

科学の力を利用するとは、何を考えてみました。
知識とは何か、それに通じるものと思います。
ドキュメンタリーで”ほんがら”という作品があります。
松明を使った古くあった祭りを、過疎化した村の復興を願った作品です。
話の中心は、松明・火の扱い方に悩むこと。昔経験した通りに、燈明のように火が上がらない。

マッチライター、ガス・ガソリン、それに燃える木・竹。
その要素は、何年経とうと特性や条件役目は変化していません。
知識として燃える現象を、かつてのようにできない。
毎年同じことを祭りとしてやってこなかった、それも原因です。
火の扱い方を忘れる。
それ以外に、火の動き、空気の動きを理解し伝えることができなかった。
火の性質、空気の流れ、しくみ ・・〜・・→ 科学。

知識のみにこだわりすぎて、物の本質をつかめていない。
マイケル・サンデル教授の日本人をテーマにしたテレビ中継があった。
福島第一原発の危険な作業をする人は、誰がふさわしいかという質問があった。
年老いた独り者が最もふさわしいという答があり、反論はなかった。
誰でもがこなせる作業であるのなら、ロボットでもやれ突き詰めてみると機械でもこなせる。
それは空論でしかない。
かがくではない。