ある創造空間、連続18時間

 ある創造空間、連続18時間



  若い人たちと接する機会が、たまたま増している。

  ある女子大のシンポジウムの授業風景を見ることができた。

  チラシの中身は、『今後』の教育のありかたについて。

  第三者が集まっていいものか考えていると、プッシュのメールが二度飛び込んだ。

  


  教師や職員の態度を見ていないが、伝わってくるマイクから想像する。

  校内のシチュエーションを想定できないものになっている。

  ライブなどのように声を荒立て、席に座って、静かにしてとか、

  マイクの声が最後まで収まらない。つまり生徒側がライブの客みたいなもの。

  もちろんその空間に参観者や一般人が加わっている。

  そのことから私立であることが、明らかになっている。




  それを経験した私。

  ある創造を経験するワークに参加した。

  年齢の幅ある参加者が集まって、連続18時間グループに分かれ

  初めての創造を遂げる。

  


  ワークショップで注目を浴びるまでいっていないが、私の存在はいつものように

  女性でなく年長者だからということで端に置かれることはなかった。

  作品を作り上げる思いが、みんなの頭にこびりついている。

  参加者・スタッフは「早くあげる」とに重点を絞っているかのよう。

  


  自己の作品を作り上げるため、自分の考えを話す機会を持とうとしないように思えた。

  コミュニケーション。

  幅広い年齢の中、話すことはめったにないはず、それなのに

  感情的な交流に終始し、プロセスをお互い確かめ楽しもうとしない。




  活動の後半、歩きながら、ある人に意見を述べた。

  つまり、こういう考え方があるという、いままでの活動の

  批判的を言ったのであるが、答えが返ってこない。

  その歩きの終わりで、彼の年齢を尋ねた31歳。




  スタッフのサポートから、意見を闘わせる時間はない、

  という宣言でコミュニケーションを自主制限してしまったような状態。

  表現そのものは個人的なもので、人と関わりがない方がやりやすいが、

  それと逆に表現そのものは、多くの人の意見がかみ合って深みが出てくる。

  自分の性と年齢の近い、人物と関係を保とうとする。

  流れを見て、その限界を感じた。




  当初参加のキッカケは、他の人がどんな考えをもって

  どういう活動をしているのか、知りたいと思っていた。

  缶詰め状態というのを味わいたかったが、

  これが、表現のプロセスだと思えない。

  非正規労働における、密室のなかの個人のようなもの。

  



  芸術とか表現するモノを考えないで、作り上げる経験を

  するためと特化してしまうと、個人間のコミュニケーションが

  ひとつ偏ってしまうのではないか。

  まさに非正規労働。




  ワークで、今後のコミュニケーションの幅を広げる。

  そのきっかけになるかと期待したのだが、関係をこしらえるまで

  至らなかった。ある意で、いつものパターンで年齢差を意識され、

  部外者に追いやられているようだ。