人生劇場

人生劇場



  

  セミナーハウスへの久しぶり参加。

  他の人に比べ、少しばかり長生きさせてもらい。

  いろんなことを経験させてもらっています。




  テニスをしませんかと声をかけていただき、定例会に加わりました。

  うまくできない部類に入っていても、お誘いを受ければ

  躊躇することなく返事を差し上げました。




  セミナーハウスの呼びかけは、この歳になっても素晴らしい

  会合であることをひときわ感じ始めた時です。

  情報を提供で終わるのでなく、お互いの意見を交わす、

  常に交流することに、心配りされているのです。

  



  数年前では、そのセミナーの特徴は気にも留めなかったのです。

  活動的な若い人を中心にした、会合だと感じていました。

  しかし、年を経て、寄り合いに多く参加してくると、

  このような対応・気配りは、いかにむつかしいモノだと知らされます。




  司会や運営などは、担当者の性格や指向によって変わります。

  一人狼で暮らしている男たちは、扱いにくい部類でしょう。

  その運営者の違いを、参加者が心から認めているかどうか、

  それがこのセミナーの発展に影響を与えそうです。




  いつもなら2〜30代の若い方とご一緒させていただきましたが、

  今回は6〜70代の方のお話をお聞きしました。

  根は、からだにかかわること。

  今まで聞いたことがない、人生を伺った。

  



  元気な年配の人の話を、聞く機会などありませんでした。

  人生の後半の過ごし方について、考えを聞くことなどない。

  それが一般的な、地域社会ではないかと思います。

  90代の親御さんを介護施設に預けておられるとお聞きしました。




  スケジュールのない日程を過ごしている、私とは異なる。

  まるで現役のような毎日を送っておられるように感じます。

  介護施設は、いつの時代まで活用ができるでしょうか。

  私たちにとっては、一生かかっても、利用する機会は

  回ってこないような気がします。




  こういうお話をお聞きすることで、現役の意識を持ち続ける

  ことが大切なことを感じました。

  時間に追いかけられつつも、能動的に生きなければいけないと、

  切に思います。




  セミナ−の会合へ向かって、テニスをしようとラケットを持参し、

  エスカレーターを使わずに階段を上り下りします。

  素振りだけをしようと、ラケットを担いで歩くのです。

  階段をよちよち歩きます。

  ラケットを持っていて、とても恥ずかしく感じました。