最後の講習

最後の講習

パブリッック・コメントが実施され、市民に知れ渡っている話し。男女共同参画事業や市民のコミュニテイづくり、プールやスポーツなどを行っている事業がなくなる。それに合わせて「自分史を書く」という講義も行われなくなりそう。自分史の最終回、スタッフの力を借りて印刷・編集・文集の製作にかかった。

講習に参加した人同士の交流はほとんどなく、お互いが書いた原稿を読み合わせるのがやっと。講習を終えて、講師を交えてお茶会するにも、気が引ける参加者たち。高齢者がほとんどで、時間に制約された生活をしていないと思うのだが、参加する人が少ない。

この後、OB会として関係を続けていくかどうかは、ひとり1人の判断で決めていくしかない。自分史の中においてどれだけ自分をさらすことができるか、書かれたものに対して仲間がどう反応するか、今後作られるOB会の在り方がそれを決める。

若い時に学んだ時は、自分が変わっていく姿を自覚できた。高齢者になると自己開示する程度に応じて、付き合いの深さが決まってくる。自分史は、あくまでも自己申告と自己評価。

文集の題は、霊峰。
一班、(border)と副題が掲げられ、「医療と薬、そして私」「家族と友達の連鎖」
「仕事の思い出」「私の大怪我」「私の青春時代」「日本復興にかけた企業戦士の末路」
「父方の祖父母」「私の父母」「私の仕事」、
二班(七変化)「肝っ玉母さん」「阪神大震災回顧」
「人生は不思議な旅!洗心・前進」「私の結婚」「疎開と空襲」、
三班(人生いろいろ)「素晴らしき わが人生」「もうすぐ春」「小学生時代の遊びの思い出」「私の山脈」
四班(飛翔)「人間の英知と愚かさ 私の昭和史」「わたしの仕事」「私の父母」「私の父」
「結婚と真珠婚」「亡き息子」「阪神淡路大震災のとき」「初フルマラソン完走記」。
戦中戦後体験は3編。

題を読んで興味が出るというより、どんな文を書いているか、あの人だろうかという想像を掻き立てるモノとして、全部を読み終えた。1200字で述べるには、技量も時間も持ち合わせていない。読み手を引き付けるに、何かが足りない。

読み終えて文章に描かれていない、箇所が見えてくる。書かないのか、書くのを忘れたか。その問いに答えるべくして、新たな小編を書き加えるきっかけになる。次のOB会で仲間たちがどういう関わりをするか、自分史の続編に掛かっている。

人としての魅力を備えた人が、文集を書くのか。会話で交流する方が手っ取り早いと、身近な友人としてコミュニケーションを深めるか、楽しみなOB会に期待するしかない。お互い傷をつけあう歳でもない、口を閉ざしてふれあいを楽しむのもいいではないか。