高齢者結婚とボランティア

高齢者結婚とボランティア

同棲・結婚、性交の目的は必ずしも出産でない、経験知。
子どもはあくまでも、授かりものだ。
しかし、子供を産むことは、経済的に負担がかかるというのも事実。

究極のコミュニティ、独り暮らしやシングルマザー&ファーザのどこまで支援が
できるか、少子化対策の最初の壁になる。
女性の労働対策の不備がもたらす、現実がある。

現役時代より遅れること、2〜30年再婚話が持ち上げるころ。
コメントを拾ってみる、意外な対象者の話があった。
籍を入れない、事実上の夫婦を望んでいるスタイル。

この話を持ち寄って、結婚に踏み切れない若者たちに脅してみたらどうだろうか?
金、経済だけで物事を決めつけずに、結婚はできるのではないか?
若者にそれを教える、はたして高齢者は勧めることができるか?

高齢者における恋愛が盛んになると、誰が困るだろうか?
とにかく、周りが恐れるのは、認知症になるということ。
物欲に心を傾けている限り、病にかからないとか。

籍を入れないという、お互いの羽を伸ばした関係を好ましいと感じた。
物欲を跳ね返すだけの、知恵が浮かばない。
真剣な愛に、溺れるための、最低限の条件いまある年金?

現役の世代からみれば、雲の上の立ち話だろう。
年金がもらえる保障もなく、今働いている現状を続けられるかという不安。
高齢者の結婚とは、ほとんど出産が叶えられないのであるから、雲の上。
30年後の未来、あなたは想像できますか?

ボランティアといえば、無償のものという印象が強い。
行動に要する費用に、実費、交通費と食費、定額など、さまざまな待遇がもたらされた。
これに参加できる人も、年々細くなっているのではないか?
実企業、学校、地域が囲い込まなければ、継続できないのではないか?
実社会で人は、正当な扱われかたをしているのだろうか?


実社会でまともな扱いをしてもらえない者が、ボランティアにいそしむことができるか?
年金の給付を受けているからボランティアができるという、ある意味補完されているからこそ参加できる。
年金がもらえなくなるころには、ボランティアという、言葉は死語になっているであろう。

年金を払わない政治家が、支持した年金制度。
あと数年後なくなったとして、高齢者がこのまま生きながらえるだろうか?
この高齢な保守政権が、30年後を建設できるとは思えず、ましてや10万後の日本を想定しているはずもない。

これからの日本は、無くなるものを想定しながら、生活上の選択をしなければならない。