みんないっしょ
みんないっしょ
はたらく、動くことをテーマにした、ある場所を見つけた。
働く場所を見つけるという、大きな目標を掲げた組織である。
3回ほど動いてみて、どうも合点がいかない。
居心地が悪い。
当初、加わるために、メールで参加するむね伝えておいた。
活動リーダーともいえる人物、人柄や雰囲気は薄々つかんでいた。
私だけか、もしくは数人がボランティアで加わっている。
リーダーが一声かけて、作業にかかる。
まぁいえば、野球の練習スタイルというのだろうか。
ほとんどの人が、同じ作業をするということを続けていた。
私は、彼らと違う作業をしたかった。
その理由は、あえて言わない。
私のぎこちなさを訴えようと、話せる時間をつくってくれとメールで願い出る。
最後まで残ってはみても、会話をする時間をもらえずに去った。
また別の団体でも同じく、私の意見を率直に申し出るが反応なし。
こちらは、年会費も払っている、公式の団体組織。
同様に、労働・ボランティアを集い、活動するスタイル。
言葉の端端に、神経を使っているのだが、誠意を感じられない。
二つの団体に共通して感じられるのは、人を括ってとりあげていること。
みんないっしょ。
同じ扱いをすればいいと心掛けている、個々の意見を聞くという<耳を持たない>。
たぶん、リーダーと称する者と、その人と接している参加者は誰も意見を言わないのであろう。
彼らと接していて、こちらが不愉快になってしまった。
ここで、私はイジメのはなしを出してみたい。
イジメはなぜ起こるか、そのことを誰も声に出していわない、考えない。
身の回りでは、すでに関心のない人たちが取り囲んでいて、議論をする人などいない。
それが、究極の、生活の周りだと思う。
私は、年長者。
それなりの経験をしてきたので、耐えられる能力を備えている。
ここに挙げたリーダーと呼ばれる人たちは、リーダーとしての自覚を持っているのだろうか。
想像ができない。
<他者からの視点>という、学びを、教わってこなかったのかと疑ってしまう。
みんなといっしょ。
いっしょとは、一緒のことではない、同じであるべきだという、無意識の想定を言う。
その無意識なるものが、教育や労働現場で築きあげられて、昔にはあらわれなかったイジメが
大規模化してきたのではないか?
なぜここまでイジメが、はびこるのか理解できなかった、しかし、20代の彼らを見て連想をする。
早く片付ける、てきぱきと物事を進めることが、最上の価値観と心得ているように見える。
なぜ、そのようにしなければいけないのか、それを考えたことがひと時もないはずだ。
プロセスを大事にしていない、部族の到来ではないか。
私の身近にいる、この若きリーダーたちは、関西と関東を牛耳っている、リーダーに
そっくり重なっているに違いない。
二人の書いた本を読んだことはないが、二人のやってきたことを見れば、二人の思想はわかる。
それが、私の人生の証でもある。
私の、若きリーダーは、小さな声も耳に入らない、人の意見を聞こうとしない。
面倒なことには、掛かろうとはしていない、かかわらずに済ませられると思っているようだ。
時の派遣労働者を扱う企業と、おなじ。
時の政権をとっている、日本の政治と酷似?していると思えないだろうか?
よく言われること、ひどい政治は、国民の質が低いことの証明。
イジメを生み出しているのは、正真正銘、国民なのである。