動くって、働くってなぁに

動くって、働くってなぁに

島根へ向って車に同乗し、ワークをするか。
大型電気店正面で待ち合わせ。
駐車場で会う手はず、車の止めやすい場所を連想して、
と思っていたが・・・・。
30分待てど車は現れず、公道からの呼びかけで相乗り。

車上、いま取り掛かっている個人的な問題をメンバーに伝える。
以前インドで車窓から見た風景。
土を掘り返しただけの道路工事、の例。
次の段階に何の仕事をするのか、次の工程がやりやすいように、どう計らうか?
先見者・上司にしてみれば、プランや判断する際の、力の見せ所。

冷やかな思いで、インドの労働環境を一瞬のうちに見てしまっていた。
その市場が、この日本市場に覆いかぶさって、外国へまで行く必要がない。
後開発国と変わらない、労働環境になった。
その感覚を確かめようと、この一週間を過ごそうと試みようと考えた。

事前に、メンバーと打ち合わせ、日程の予定など知らされていたはず。
車上で正式なパンフレットの工程表を眺めると、想定とまったくそぐわない。
軍手、ヘルメット、つなぎ、長靴、手ぬぐい、バンダナ。
すべて使わず、期待していたワークなどなかった。

派遣労働という仕組み、定期昇給・長期雇用という制度。
年金という将来を約束された保障や、生活保護という安全装置。
賃金と無給という狭間の中で、何とか社会を埋めていこうとした、ボランティア制度。

ボランティアという動きは、生活があるいみ保全されている環境を地盤としていたのではないか?
支えとなるもの、年金や家族の収入がある生活。
孤独な生活を強いられる、高齢化社会では<ボランティア>という言葉は無くなるのではないか?
それ以前の段階で、賃金をもらう職場で人と人との繋がりを原点に、お互いに仕事を充実させているであろうか?

派遣労働は、労働者を孤立化させ、個人の役割を希薄化させてきた。
ロボット以下の存在に至らしめ、人間としての尊厳を大切にしようとしない。
客に感謝する言葉を吐かない、対人関係に陥ってしまった。

渋滞の高速道路、遅い夕食でごった返す食堂。
ゴミだらけ放置の、無料コーナー。
ビーフカレーの食券をカウンターでみせると、奥のカウンターに誘導される。
笑顔を見せず、あいさつもない無愛想な店員の顔。
食べてみれば、肉の一切れもないカレー。
こういうカレーを売りたい店員など、どこの世界に居るか?

すべてがすべて、金儲けで動いている、満足して働いている人などどこにも見えない社会。
311の経験を生かさないまま、同じ道を社会が歩んでいるのだから、現状を認めるしかない。
今働いている経験が、これから生かされない。
労働が、意味あるものとして、このまま受け継がれることはない。
この労働が、現代の代表的なもの。
これが、日本の公務員としての、労働の価値観だとしても仕方がない。
同じ過ちを繰り返しても、組織や個人・誰も非難しないのだから・・・・。

働く者にとって、昨日より今日、今日より明日と、成長のみられない、
職にどうして心を込めて、動けることができるだろうか?
今日、明日も、危険な福島に子供たちを住まわせて、安穏として生きられる公務員に〜。

国会を通すことが叶わないと、臨時国会で承認を求めず、官房長官は会見をする。
原子力委員会の人事は、同意を得なくてもいいとうそぶく。
シンドラーのエレベーター死亡事件は、以前2006年にもあった。
そのシンドラーのエレベーターが、死亡事件を繰り返している。
遭難した4人が参加した、万里の長城をめぐるツアー。
アミーズトラベル社と、観光庁は、同じ過ちを繰り返しても、社会的に非難されない。
福島原発と同様、組織は犯罪の主体にはならず、法で処罰される日本国ではない。、
企業や国、同じ過ちを何度繰り返しても、人としての痛みを感じない。
国、公務員という存在が、何ら機能を果たしていないことの証明、仕事をしていないことを表している。



過疎地を訪ねた時も、人とひとを繋ぐ労働に、
ギクシャクしたものを直感した。
これは、私だけの感性かもしれない。

動きや働きに、何の苦労もなく自分なりに楽しみを見つけることも可能だが、
お互いの動きに<こころ>が噛み合うような気がしない。

私にとっての違和感を意識しながら、ワークを重ねてきた。
いつ自分の感覚が薄れるかもしれず、意識を持ち続けないとわからない。
明日になれば、もう忘れる感情かも。

日本で起こっている、出来事のすべて。
あまりにも心がこもっていない、動き。
数日後、数月後には、無作為であった状態と、かわらない動きかもしれず。

この複雑な思いをメンバーやリーダーに、伝えなくては、次のワークへ進めない。
このままの状態では、いい動きができない。