むかし原発 いま炭鉱

むかし原発 いま炭鉱

「三池〜終わらない炭鉱の物語」上映と熊谷監督トーク

映画「三池 終わらない炭鉱の物語」

「三池炭鉱を振り返れば、そこで働いている人々の事情などお構いなしに、
国の利益を優先して政府、経済界、学者が連携する構造があった。原発政策も
まったく同じ根っこを持っている。」
政府が地方にエネルギー開発基地を押し付けている、いびつな構造をあぶり出す
視点で、熊谷さんは、「国とエネルギーの歴史を見直さずにここまで来てしまって
いるのが最大の問題だろう。三池から、日本の<根っこ>を考えてほしい」と
訴えています。
3・11原発事故を体験した今だからこそ、「三池」の歴史から日本の「根っこ」
をともに考えましょう。

以上レジュメより
市民社会フォーラム主催に参加しました。

二度目に見たとき、労働組合の比重をつよく感じました。
労働における組合の果たす役割りでしょうか、知らない部分です。
ドキュメンタリー作品に表れるのが、女性独特の感性です。

女性の労働が果たせなかった、その歴史的事実。
労働組合は炭鉱で働いてきた女性たちを、同等に扱ってきたか?
組合に入り込めなかった理由を明かすべく、炭鉱の男たちは語り始めたのでは・・。

労働災害に組み込んで、どこまで交渉できるか、その経験を後世に伝えるか。
それは企業の責任でもあり、組合にも共通する案件です。
労働組合が廃れ、労働安全を使命とする法的措置がない限り、現場とゲンバに関わらない部署との
乖離は解消されません。
マニュアルがあっても、生かすための言葉はありません。
まるで漫画でしったゼロ戦特攻機です。

3・11は、危険を回避する術を理解しない現場の、作業者がいたことによる災害です。
作業者だけの責任でないことは、その後のようすで明白です。
そのことを法律にかざしても、処罰する論理的マニュアルは存在しませんでした。
車の止め方を知らない、猛スピードで走っていた、国がいたのです。

炭鉱の災害を防止するには、何が必要な知識か、専門家や国に尋ねるまでもなく、彼らを現場に配置すれば解決するでしょう。
言葉で作業を振り分け、現場と現場外に分けることはナンセンスだと思います。

現場と現場外の乖離する現象は、福島原発でさらに広がります。
それを埋めるべき女性の果たす役割は、ますます大きいのですが、福島の現場へ向かうことを女性は許されません。