それでもボクは やっていない

それでもボクは やっていない 2007年

監督・脚本  周防正行  
出演 加瀬 亮  瀬戸 朝香
   役所 広司

大事な就職の面接を控えた日の朝、大勢の通勤客に交じって電車に乗った。

本来の、教訓映画。
あんな目に合うのは、嫌だ。
そこから、自分の行動を修正するため。
だからひどい目に会わないよう、多くの条件が必要。

なぜ乗員の混みあう時間に、被害者が利用するのか?
全ての人がうまく女性専用車を、活用されていると理解します。
その乗員方法に倣って、男女分かれて違うドアを利用してはどうか?
なぜ疑われることを好んで承知し、男女の混みあう電車に乗るのか?
被害者願望が、あるのではないか?
乗員のアンケートを時系列に記録してみては、どうだろうか?
男女が分かれて座ることは、誰もやぶさかではない。

痴漢犯罪が、まだ続いているのであるから、法はまだ機能していない。
電車のドアは、背を前に背後から入る方法を説いていた。
混んだ電車を選び、自ら犯罪を加担しようとする者に何を言っても、
仕方がないではないか。

電車に乗車するとき、デモのようにプラカードを見せながら入る。
そういう慣習を、いま通勤時間にあえいでいる、現代人に提言したい。
お互い、自分の立場を承認してもらえないから、苦労しているに過ぎない。
お互い、お互いを認めやすいように、プラカードを持てばいいではないか?

優先座席さえ、容易に確保できない電車内で、人権を完全に守るに隔離政策しかない。
男女分かれて、乗車するのだ。

脚本によって、法曹界の実情は映画公開されました。
この描写が間違いなら、なぜ法曹界は反論しないのでしょうか?
もし正確な事実とするのなら、その間違いを社会は修正しないのですか?
裁判官の固有によって、揺らいだ決定がされるとしたら、何を基盤して裁判に望めばいいのでしょうか?
何を基準に決断をすればいいのでしょうか?

大事な面接に向かう電車。
この時に満員電車を選ぶ、そして持ち物に履歴書を忘れてきたことを確認したのに、そのまま会社に向う。
もうこの状態では、会社に受かることを期待していないのではないか?
落ち着いてテストを受けるため、早い目に到着することを誰か勧めないものか?
浮足立った、慎重さの欠ける行動だとは、言えないだろうか?

その落ち着かない若者を描いたのに、一審のみならず上級裁判へと進める、その意気に驚かされる。
最後まで、とことんやるという心意気は、後戻りできないという窮地の際に発揮されるような気がする。
彼のように、行動のきっかけが希薄だと、他人はよく引いてしまいがち。
それをはねのける気性が、彼のどこに見えるだろうか?

しかし、この満員電車は少なくなるだろう。
電車の発車本数は少なくなり、駅で待機する時間は増えるのみ。
甚だしきは、電車が無くなる。
それが、少子社会。

それでもボクは やっていない
http://www.youtube.com/watch?v=UvRMouIFNkM